私の思想

最近思うのは

大多数の人間に受け入れられる様な合わせる様な生き方は私には合わない。

昔の様に誰とでも人に合わせて無理して付き合う必要もない。大勢と付き合うと面倒な事を頼まれたり、特に(ジムニー仲間で修理依頼と部品オーダーを頼んでおいて部品代すら払えないで県外にネコと旅に出る人など)。

人の時間や金を平気で奪うひともいた。なので私は友達もいらない。少なくとも多くはいらんし薄っぺらい関係もいらない。本当に仲居良い人だけで十分。その為、車でも料理でも普段から自分でやり1人で生き抜く力(個々の力)を育む事が最も自分にとっては重要だ。そうすれば人に頼らないで良くなり、自分で解決できる術を学べる。人間は最も信用できない生き物である。自然やトレーニングは私の友だ。

また世間では就職して結婚して子供産んで幸せという風潮があるが、それは私にとっての幸せではないという事だ。四六時中誰かが家にいて、自分1人の時間が確保できないなら私にとっては地獄そのものだ。友達出来ようが、恋人出来ようが1ヶ月もしたら喋ることもなくなる。

だから喋らなくても気軽で気を使わず、喋りたい時だけ喋るくらいで、あとはお互い好きなことに没頭する生き方が私にとっての幸せだという事を最近めっちゃ感じる

高校卒業間近、ほとんどの人が大学や専門学校に進学が決まる中、私は何も決めていなかったので(正確には何も決める気はなかった。)進路指導の先生に心配され、少しは興味あった英語の関係で、いろんな英語を使う貿易関係の就職先など紹介してくれた。が無視した。みんな進学する理由を聞くといい仕事に就けるから。だとかそんな理由だった。私はとても疑問で行きたい大学も興味も無いのに多額の奨学金という借金を追わされるのはごめんだと思い。親に反対されながらもバイトでお金を貯めて海外に行くことにした。私は就職もしたくなかったし、結婚もしたく無いし、子供にも興味が無いからだ。また大学行った人よりも中卒で働いてる人の方がすごい人が多かった。また18の時も日本にずっと疑問を持っていたので大学にも行かずバイトでお金を貯めていた。海外に行った理由も、日本の過労働で低賃金で苦労する事が美徳とされる文化や、謎の言葉

「花の金曜日」に居酒屋でみんな会社や同僚の愚痴を言う。そんな飲み会の翌日その反動で二日酔いの遅寝遅起きで週末ダラダラ過ごし、休みの1日だけ終わるの早いとなげくのが多くの人間のくだらない過ごし方である。

そういうのに巻き込まれるのが嫌で海外に行く為バイトでお金を貯めていた。義務教育は高校生までだ。だからそれ以降は何しようと俺の勝手だという考えだった。

また20の時

めんどくさいくだらない関係を断ち切る為

成人式も行かず、偽りの友達という連絡先も全て削除ブロックして私はバイトでお金を貯め海外に逃げたかったのが正解だ。

しかし海外に行って今度は日本の礼儀正しさや謙虚さが素晴らしいと思った。

初めての海外はワクワクで外国人の友達欲しくて積極的に話題もないけど喋って無理してたけど、今はいろんな人種差別もあり、逆になんでいつもアジア人が外国人にペコペコして下手に出ないといけないと思い、媚び売ってまで仲良くする意味が分からなくなり、かかってこいと言う姿勢になった。今では改めて1人がこの世で1番最高な生き方で本当の自由であると思う。最近は人に合わせず自分のやりたい様にやる事をしているので最適な生き方だ

また海外で人種差別受けて思った事は、

差別は自然な事だと思う。自然界でもちょっと違う模様のがいたら仲間はずれもあるし、自分達の縄張りを脅かす外来種が現れたら嫌がるのは当然だとも思う。動物たちもそうだ。

日本での常識は世界の常識とは違う事。私の中の常識は貴方からすると異常で、また逆でもあり、貴方の中の常識も私からすると異常だ。なので人と完全に分かり合える事は無いと言う事を知った上で人と関わる。分かりあうのではなく、自分と違った世界に触れて刺激を貰えると思うと楽しくなる。

この世の世界は嘘も多い。特にTVなどは日本の洗脳の道具と思っているので、もう何年もテレビは見ていない。一生会うことのない芸能人の結婚や離婚報道、有名な誰々が亡くなったなど本当にどうでも良い情報である。またTVは通販、健康グッズなど、3日ですぐ痩せるなど、全てがそうでは無いが、金儲けの罠に騙されさせる為の機会にもなってしまう。テレビで言ってることが全て正しいと思うのは非常に危険である。この世界が人々をどうコントロールして自分達に従わせ、各個人が自分自身で考える力を無くし、集団意識でみんな同じが正解だと思わせたいのか。本来ならみんな違う人間だから違う意見や考えがある事が自然で、それが楽しいはずだ。でも現代ではみんな同じが安心安全だと思っている。自分の思考すら信じられないので他人にすがるしかないのかもしれない。自分の思考で出てきた意見を言う。を怖がる必要はない。本当は自分の意見は言っていいんだ。もし世の中や普段の集団生活などで違和感を感じたらそれがあなたの本当の意見で思考だ。

また運動や健康に気を使わないのに、すぐに薬や便利グッズに頼る現代人の身体能力はどんどん落ちていくというリスクも考えなければならない。効率と行きすぎた便利さがもたらす代償だ。日本はかつて長寿とも言われていたが、実際はどうだろうか? 本当の意味で健康で動ける人はもっと少ないはずだ。普段から運動や健康に気を使わないで生命保険だけ入って老後は人任せにする前提でお金もむしり取られながら生活することは本当の意味で生きてるというか生きながらえさせてもらってるのではないかと疑問だ。寝たきりの人の人数も含めての長寿と言ってるのではないか という疑問も浮かんだ。私も長生きしたいわけじゃ無いがずっと鉄棒できる体ではいたい。

情報が多すぎる中 昨日まで健康と言われた食材も明日には添加物だらけで危険でしたと言う始末。なので常に世界を疑う目を絶やさないで何が真実なのか日々人体実験して取り入れ、人が言ったから、人気だから、有名人が使ってるからと言う事に騙されない事が大事だ。有名だから、このメーカーだからではなく、本当に自分が良いと思い、自分の意思で考えて決断する。事が特にに大事だと思う。たとえそれで失敗しても次の学びの糧になる。

みんなが美味しいと言う店、みんなが楽しいと言う映画と聞いた瞬間私は興味なくなる。逆に誰にも見向きもされない映画を見ると言う世間と真逆な事をすると言う週間を取り入れる。

しかし自分自身も定期的に疑う事も必要だ。特に自分が正しいと思っている時こそ危ない思考に偏りがちだ。まさにこの長いページを書いてる最中にも自分自信に細心の注意を払いながら頭に浮かんだ文字を書いていく。また間違った方向に進んで無いか、自分の思想が行きすぎていないか。再度第三者の目線で中立の位置で自分自身を観察する事も大事だ。

便利になり急速に発展していく世の中ですが、便利で快適な生活を求める人もいると思いますが、私の生きたい生き方は、なるべくなんでも自分でやると言う事。そうする事で常に「疑問➡️実行➡️失敗➡️成功」のサイクルが生まれるからである。失敗の隣にはすぐに成功が隣り合わせと言う事である。これはジムニーをいじり始め学んだ事だ。しかし何もしなければ何も疑問すら生まれない。便利になればなるほど人間本来の身体能力も退化する事も頭に入れて置かないと快適性だけを求めてはどんどん自然から遠ざかる。 便利になる事は効率良いですが、同時に人間の身体能力を退化させるという事も頭に入れておく。風邪や頭が痛いなどですぐに薬に頼るのも私は好きでは無い。またもし自分が太っていたとして、何も努力もしないで肥満だけどオシャレな服などで外から着飾るのも嫌いだ本体をどうにもせず外を着飾るだけ。なので私は常に逆でありたい。ボロボロの服でも体は健康と言うスタイルだ。見えるものばかりじゃ無く、根本を改善する。

そしてなるべくシンプルで自然に近い、原始的で適度な不便さを味わう様な生活を求めている。例えば夜間は部屋を最大まで暗くするか真っ暗にする。本来備わっている瞳孔を開かせ光を取り込み、暗闇でも見える本来目に備わった機能を取り戻す為のトレーニングだ。夜間も明るすぎる環境に身を置く動物はいないからだ。なので人間ではなく、動物や自然にいつも答えを探しにいく。人間の考えは不自然と金儲けの考えが多いからだ。特に大手携帯会社は最初スマホ代0円や1円などで勧誘してくるが、2年間だけでそれ以降からは高くなり、計算するとずっと払い続けるし、結構高くなるので、2年後にまた更新して常に借金負わせるサブスクリプションの様なスタイルが現在の嫌いな仕組みだ。なのでいつもSIMフリーの本体を一括購入し、安い子会社で契約し、携帯代も毎月1980円でLine, Insta,Spotifyなどはパケット無制限なので大手携帯会社の勧誘がきたら毎回安すぎて驚かれたあっちが何も言えなくなる。また消費社会になった現在では家電なども昔に比べ壊れやすい様に感じます1年、2年、3年保証などありますが、その周期で買い替えて消費させると言う消費社会が嫌いだ。昔の日本製品はシンプルで壊れなかった。実家にあったエアコン Sanyo製(現在はないメーカー)は30年も持ったエアコンでした。私はできるだけ反消費社会主義に生きる。

普段は自分の思う様に生きるが、仕事では人に合わせる力を養い、プライベートでは常識にとらわれず非常に個性化を目指す。どっちにも行きすぎずバランスは保つが個性的で唯一無二をな生き方

筋トレを始めたのも人に馬鹿にされた時の復讐心だ。いまでは感謝と復讐心半々でどちらも必要不可欠。

また危険なのがよくポジティブ思考が大事だというが、苦しい時も笑う。なんて不自然過ぎる。苦しい時は苦しがって良い。

光も闇も、綺麗なとこも、汚いとこも、全てが必要だ。綺麗事になり過ぎず、悪に染まり過ぎず、光と影の統合、バランスよくが私の生き方

 Society-Eddie Veddar

私の新たな野望は北部に土地を買い、開拓する事。その為に2024年東村の沖縄産業開発青年協会で車両建設機会(ユンボーやブルトーザー)の免許、アーク溶接、ガス溶接、玉掛け、小型移動式クレーン、フォークリフトを取得した。

現在は北部でお気に入りの場所、今帰仁村、本部町、大宜味村の塩屋地区や、喜如嘉あたりで住む土地を探している。

土地を買った後やりたい事はリースでユンボーをレンタルし、整地して鉄棒を設営、コンテナ(約50万で20フィートくらい)やプレハブでも良いので簡易的な家を作る事。

ジムニーやハンターカブ、その他旧車のレストアなどができる簡単なガレージや板金塗装ブース、工具の置き場所。溶接などで鉄工や木工などでモノづくりコーナー、焚き火を楽しむ焚き火コーナー、遊びに来た方々に日々作っているチャイの又はコーヒーなど飲みながらゆっくり出来る空間。海外雑誌Cabin Porn(ポツンと一軒家の海外版写真集の様な山小屋の様な場所で暮らす事。出来るだけ半自給自足、物に頼りすぎず、程よい不便さの中に自然と共存しながら生きる楽しさ、人間社会や物資世界にくたびれた人達の憩いの場になってくれても嬉しい。

究極的な欲を言えばサウナの設置もだ。

何年かかるか分からないけど、何も目的がない人生より私は自分で思いついた楽しそうな事をこれからも追求し探求する。

もしもう一度なにか旧車をレストアして甦らせると知れば、1988年の三菱ミニキャブの白のハイルーフじゃないモデルだ(フロントにMMCのエンブレムがあるおそらくMitsubishi Mini Cabの頭文字だ)2WDと4WDモデルもあり、エンジンはポルシェの様なサイレントクランクシャフト採用だ。

またバイクは70s〜80年代のHonda Benlyだ

当時のバイクでクラシカルで渋い、バッテリーを必要としないシンプルで強靭な素材の1台

スーパーカブのなかではスポーツカブでとてもかっこいい。